2020年5月26日火曜日

古代に渡来した聖母マリヤ・イエス信仰 ②描かれた「えびす」-御神影集

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金原政敏・歴史研究家


小嶋秋彦:歴史学講座「創世」主宰

歴史学講座「創世」一般

描かれた「えびす」-御神影集


※出典:

『えびす信仰事典』

吉井良隆編 戎光祥出版

「福の神」として、

全国で広く親しまれるえびす神。

その姿を描いた

「御神影札(おみえふだ)」は

摂津国西宮神社で

頒布されたのがはじまりとされ、

その様子は鎌倉・室町時代の文献に、

すでに登場している。

神棚・居間・台所など、

家屋の中でも親しみやすく、

また清浄な場所に、

貼り札としてお祀りされる

福々しい「えびす神の御影」は、

民衆が福徳招来を祈念する、

身近な信仰対象であった。

御神影札は中世以降、

福神信仰の隆盛の伴って、

また傀儡(くぐつ)師や、

えびす舞を披露する門付け芸人らの

活動の活発化に伴って全国に広まり、

近世にはこの人気にあやかって、

西宮神社の神札に似せたお札が、

神社以外の場所で

作られたこともあったようである。

(略)


堀内泠氏は西宮神社の氏子であり、

昭和30年頃より募集をはじめた

「えべっさん」……

えびす神コレクションは、

美術工芸品から生活用品にいたるまで

幅広く網羅され、

今や7000点を超えているという。

なお、現在そのほとんどは、

西宮市白鹿記念酒造博物館に寄託、

堀内文庫として収蔵されている。

(略)

全国に広まって行く過程で、

福の神である「えびす神」が

いかに多くの人々に親しまれ、

生活に溶け込んできたのか、

またどのような歴史を持ち、

どのような存在として

信仰されてきたのか示す、

多種多様な

「えびす神の御神影」

を紹介する。

“おみえとは、

「御神影」と書くように

神様のお姿を写したお札(画像札)です。

えびす大神様の総本社である

西宮神社では、

えびす大神様(西宮神影)と

大国主大神様(大国神影)と

田の神様(五穀神影)の

「おみえ(透かし入り)」

を全国に配札致しております。


大黒様(大国主大神様)のおみえ(御神影)
田の神様

《参考》御神影札


えびす宮 総本社


西宮市白鹿記念酒造博物館


※出典:SankeiBiz 西宮大神宮







小嶋秋彦(歴史研究家)原図

M.K記(責)


2020年5月20日水曜日

古代に渡来した聖母マリヤ・イエス信仰①西宮神社、生田神社、廣田神社〔兵庫県〕

⚽⚽⚽☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪⚽⚽⚽
金原政敏・歴史研究家


小嶋秋彦:歴史学講座「創世」主宰

歴史学講座「創世」一般


エビス信仰と広田神社・西宮神社〔兵庫県〕

-古代に渡来した聖母マリヤ・イエス信仰-


神社は日本各地に鎮座し、

日本人の生活に大いに影響を与えてきた

ヘブライ文化の実証を解明&説明します。

例年12月24日25日は

イエス・キリストの生誕祭が(クリスマス)あります。

日本へも古代に聖母マリヤ及び

イエス信仰が渡来していたとの隠され続けてきた

秘密を開示します。

その象徴が恵比寿様であります。

恵比寿様とは事代主神の別称です。

意外や意外その信仰はかなりの神社に広がっています。

また歴史上重要な時間事件である

4世紀後半に実行された推察される

神功皇后の三韓征討には

韓半島からキリスト教徒を

救出することにあったとの側面を

無視することはできません。

その隠された実証を認識してください。

〇西宮神社、生田神社、廣田神社〔兵庫県〕

えびす総本社:西宮神社



由緒

西宮のえびす様は、

古くは茅渟(ちぬの)海(うみ)と云われた

大阪湾の、

神戸・和田岬の沖より出現された御神像を、

西宮・鳴尾の漁師がお祀りしていましたが、

御神託によりそこから西の方、

この西宮にお遷し、

祭られたのが起源と伝えられております。

この鎮座の年代は明らかではありませんが、

戎(えびす)の名は平安時代後期には

文献に度々記載されています。

古社廣田神社の浜南宮の内に

鎮座したえびす大神は、

漁業の神として信仰されていましたが、

この西宮は西国街道の宿場町としても開け、

市が立ち、やがて市の神、

そして商売繁盛の神様として
灘五郷の一つ西宮郷の銘酒と共に、

隆盛を極めるようになります。

現在では1月9日、10日、11日の

「十日えびす」には百万人に及ぶ参拝者で賑い、

阪神間最大の祭として全国に知られています。

特に、

十日早暁の大祭終了後の開門神事・走り参りは、

福男選びとして大変な熱気につつまれます。

九月二十二日の例祭と翌日の渡御祭、

和田岬までの海上渡御、産宮参りも、

秋の西宮まつりとして地元の人々の

大きな楽しみとなっています。

通称赤門と云われる表大門は、

豊臣秀頼公の奉献によるものとされ、

桃山建築の遺構を残し、

その左右に連なる全長247メートルに及ぶ

大練塀と共に重要文化財に指定されています。

また境内えびすの森は

兵庫県指定の天然記念物となっています。


「全国神社名鑑」

西宮神社(えびすさん)

兵庫県西宮市社家町(しゃけちょう)

祭神:西宮大神、須佐之男大神、大国主神


「神道大辞典」

西宮神社(ニシノミヤジンジャ)

兵庫県西宮市社家町に鎮座

西宮大神、須佐之男大神、大国主神を祀る


「延喜式」神名帳

摂津国兎原(ムハラ)郡

大國西神社「オホクニ㋨」「オホクニヌシ」

◎大国主神

「大国」は「ガド族の主」、

つまり

イスラエルの十二支族の一つ

「ガド族の神」である

「イスラエルの神」を表す

「ガド」

(Heb.),גד,GD,吉祥、偉大
 
(Heb.),גדלה,GDLH,大きい、至福の、吉祥の


◎西宮「西の宮」の「西」:ニシ、:「ナッエ」

(Heb.),נַתסֶרת,NTsRT,natsert 

ナツェレ〔ナザレ〕

イエス・キリストが

幼年時代を過ごした南ガリラヤの町

(Heb.),נַתסֶרֻת,NTsRVT,natserut キリスト教


(Heb.),נָתסֶרִי,NVTsRY,notseriy キリスト教、キリスト教徒

(Heb.),נִתסֶלַה,NTsLH,nitselah 磔にされる

(Heb.),תסֶלַֻ,TsLV,tselau 十字架、十字

(Heb.),נִתסַֻל,NTsL,nitsual 救われる、助かる

(Heb.),נָסהִַ,NVsHI,noshai 救われる、救助される

※「西宮」は「キリストの協会」を表す


◎「神像札」

御神影札「おみえふだ」

御神影「オミエイ」

(Heb.),ָמֶכ,IMK,omek 深さ、深み、奥深さ

◦根底、基調

(Heb.),ָמָכ,IMK,omok 深い、(思想が)深い、深遠な

※御神影札は「奥義を表す御神像の札」


◎「戎」「夷」エビス

(Heb.),ֶוֻס,AVVS,evus 馬ぶね、飼葉桶

※イエス・キリストは馬小屋で生まれ、

飼葉桶に入れられた。

「えびす」はイエス・キリストを表す。

「新約聖書」

ルカによる福音書

2:6ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、

マリヤは月が満ちて、 

2:7初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。

客間には彼らのいる余地がなかったからである。


◎社家町(しゃけちょう)〔西宮神社の鎮座地名〕

社家「モリヤ」

(Heb.),מִרֶיַמ,MRYM,mireyam

ミリヤム、マリヤ、聖母、イエス・キリストの母
 

◎吉井〔西宮神社の宮司家の家名〕

吉井「ヨシイ」

(Heb.),יֶסהִֻ,YShVI,yeshui
 
イエス(男の名)、イエス・キリストの名

(Grk.),Ιησούς,Iesous イエス

※西宮神社には、キリスト教を

信仰していた人々の系譜がみえる。

〇「御神影札」の奥義:西宮大神の真実

釣「ツリ」

(Heb.),תסֶלַֻ,TsLV,tselau 十字架、十字

松「マツ」

(Heb.),מֶת,MT,met 死ぬ、死亡する

(Heb.),מֶת,MT,met 死んだ(人、動物)

(Heb.),מַוֶת,MVT〔mut〕,mavet 死、死亡

鯛「タイ」

(Heb.),תֶכהיֶֻ,TKhYH,tekhyue 復活、蘇生、復興・新生

(Heb.),טךהYט חםךהYם,TKhYT HMKhYM, 

〔復活-死人〕:メシヤ(救世主)到来の際、

死人が更生するという信仰

竹「タケ」:鯛「タイ」と同じ

水の流れ「ナガレ」

(Heb.),נִגַר,NGR,nigar 流れ出る

(Heb.),נַגַר,NGR,nagar 大工、建具屋

(Heb.),נִגֶַל,NGAL,nigeal

※イエスは大工の子としての家族に生まれた。

〔父の名ヨセフ〕

〇「福の神」

「エビス」


(Heb.),ִוסהֶר,IVShR,ivsher 富、財産、豊かさ、豊富

(Heb.),ַוסהֶר,AVShR,avsher 恵福、幸福(感)、満足感

(Heb.),ִוזֶר,IVZR,ivzer 助け、援助、救援、助け手

※「飼葉桶」であった「えびす」は

「恵福」へと転化されたのだ。

◎廣田神社

〔兵庫県西宮市大社町〕

祭神:天照大御神荒魂



「延喜式」神名帳

摂津国武庫郡 廣田神社 名神大

月次、相嘗、新嘗 訓「ヒロタ㋨」

「住吉大社神代記」

部類神 當國廣田大神


『日本書紀』

神功皇后摂政元年2月条

「務古水門(むこのみなと)」「広田国」

「活田長峡(いくたのながを)国」「長田国」

「皇后の船、直ちに難波を指す。

時に皇后の船、海中に廻りて進むこと能わず。

更に務古水門に還り卜す。

是に天照大神、おしえまつりて曰く、

『我が荒魂を皇后に近づくべからず。

まさに御心を広田国に居らしむべと』と。

即ち山背根子の女、葉山媛を以て祭らしめる。


「全国神社名鑑」

仲哀天皇九年神功皇后の創建。

武庫の浜辺で天照大神の神譜により、

この地にその荒魂を奉斎したものである。

「ヒロタ」

Χλιώτες(hliotes)太陽の

Ήλιος(Hlios)太陽神

ήλιοι(helios)太陽、日の出〔複数〕日光


◎生田神社

〔兵庫県神戸市生田区下山手通〕

祭神:稚日女尊



「延喜式」神名帳 摂津國八部郡 

生田神社 名神大、

月次、相嘗、新嘗 訓「イクタ㋨」

「住吉大社神代記」なし


「日本書紀」

氣長足姫尊 神功皇后〔摂政前記〕

(仲哀天皇)九年の三月(やよい)

壬申(みづのえさる)朔(ついたちのひ)

皇后選吉日 入齋宮 親(みづから)爲

神主(かむぬし)則命(みことのりす)

武内宿禰(たけしうちのすくね)

令撫(ひく)琴(みこと) 喚(めす)

中臣烏賊津使主(なかとみのいかつのおみ)
 
爲審神者(さには)
 
因以千繒高繒(ちはたたかはた)
 
置琴頭尾(ことかみことしり)
 
而請(ねぎまうす)曰(まうす)
 
先日(さきのひ)敎(をしえる)

天皇者誰(いづれ)神也
 

願欲知其名(みな)逮(いたる)

于七日七夜(なぬかななよ)
 
乃答曰(のたまふ) 神風(かむかぜ)

伊勢國之百傳(ももつたふ)

度逢縣(わたらひのあがた)

之拆鈴(さくすず)

五十鈴宮(いすすずのみや)所居(ます)神
 
名撞賢木嚴之御魂(つきさかきいつのみたま)

天疎向津媛命(あまさかるむかつひめのみこと)

焉 亦問之 除(おく)是神復有(います)

神乎 答曰(のたまはく)
 
幡荻(はたすすき)穂(ほ)出吾也
 
於尾田(をだ)吾田節(あがたふし)

之淡郡(あはのこほり)所居(をる)神之有也


神功皇后摂政元年

「皇后の船、直に、難波を指す。

時に、皇后(きさき)の船(みふね)

海中(わたのなか)に廻りて、

進むこと能(あた)はず。

更に務古水門(むこのみなと)に

還りまして卜(うら)ふ。

是に、天照大神、

誨(をし)へまつりて曰(のたま)はく、

「我が荒魂をば、皇后に近くべからず。

当に御心を広田国に居らしむべし」とのたまふ。

即ち山背根子が女(むすめ)

葉山媛(はやまひめ)を以て祭(いは)はしむ。

亦(また)稚日女尊(わかひるめのみこと)、

誨へまつりて曰はく、

「吾は生田長峡(ながを)国に居(を)らむとす」

とのたまふ。

因りて海上(うながみの)

五十狭芽(いさち)を以て祭はしむ。

亦(また)事代主尊、誨へまつりて曰はく、

「吾をば長田国に祠れ」とのたまふ。

則ち葉山媛の弟長媛(いろどながひめ)を

以て祭はしむ。

亦表筒男、中筒男、底筒男、三の神、

誨へまつりて曰はく、

「吾が和魂をば大津の渟中倉(ぬなくら)の

長峡に居さしむべし。

便(すなは)ち因りて往来ふ船を

看(みそなは)さむ」とのたまふ。

是に、神の教(みこと)の随(まにま)に

鎮め坐(す)ゑまつる。」

※「幡萩穂出吾也、於尾田吾田節之淡郡所居神」と

「稚日女尊」は同神

〇幡萩穂出

「古典文学大系・注」

はたのようになびくすすきの意で、

穂またはホの枕詞

「出雲風土記」意宇郡条に

「波多須々木支穂振別而」といい、

「万葉集3600」

原文: 

者田為々寸 穂庭莫出 思而有 

情者所知 我藻将依

よみ:

はだすすき、穂にはな出(い)でそ、思ひたる、

心は知らゆ、我れも寄りなむ

意味:

目立つまいと思っていた気持ちは

もう知られてしまったので、

私もおじいさん

「(竹取翁(たけとりのおきな)のこと」の

言うことに賛成しましょう。

竹取翁(たけとりのおきな)が

詠んだ歌への返歌です。

「はだすすき」は「穂に出ず」を導く枕詞です。


※出典:たのしい万葉集 第十六巻

はだすすき穂にはな出でそ
具満タンより



穂出「古典文学大系・注」

秀(木)に出る。則ち形があらわれる。

「穂」

(Grk.),πόλος,polos, 乙女、若者<人間>について

(一般に)若い動物、若駒、ここでは「乙女」

(Grk.),Παλλάς,Pallas, アテネ女神の異称

※「乙女」は「稚日女」と同義となる。

「イクタ」

(Grk.),εντάξει,ikter、(Grk.),εικονίδια,ikettes
 
保護を嘆願する、嘆願の護り神 


◎長田神社

〔兵庫県神戸市長田区長田町〕

祭神:事代主命



「延喜式」神名帳

〔摂津國八部郡〕

長田神社 名神大、

月次、相嘗、新嘗 「ナカタ㋨」

「住吉大社神代記」なし



「日本書紀」

氣長足姫尊 神功皇后〔摂政前記〕

(仲哀天皇)九年の三月(やよい)

壬申(みづのえさる)朔(ついたちのひ)

皇后選吉日 入齋宮 親(みづから)爲

神主(かむぬし) 則命(みことのりす)

武内宿禰(たけしうちのすくね)

令撫(ひく)琴(みこと) 喚(めす)

中臣烏賊津使主(なかとみのいかつのおみ)
 
爲審神者(さには)
 
因以千繒高繒(ちはたたかはた)
 
置琴頭尾(ことかみことしり)
 
而請(ねぎまうす)曰(まうす)
 
先日(さきのひ)敎(をしえる)

天皇者誰(いづれ)神也 

願欲知其名(みな) 逮(いたる)

于七日七夜(なぬかななよ)
 
乃答曰(のたまふ) 神風(かむかぜ)

伊勢國之百傳(ももつたふ)

度逢縣(わたらひのあがた)

之拆鈴(さくすず)

五十鈴宮(いすすずのみや)所居(ます)神 

名撞賢木嚴之御魂(つきさかきいつのみたま)

天疎向津媛命(あまさかるむかつひめのみこと)

焉 亦問之 除(おく)是神復有(います)

神乎 答曰(のたまはく) 

幡荻(はたすすき)穂(ほ)出吾也 

於尾田(をだ)吾田節(あがたふし)

之淡郡(あはのこほり)所居(をる)神之有也

神功皇后摂政元年

「皇后の船、直に、難波を指す。

時に、皇后(きさき)の船(みふね)

海中(わたのなか)に廻りて、

進むこと能(あた)はず。

更に務古水門(むこのみなと)に

還りまして卜(うら)ふ。

是に、天照大神、

誨(をし)へまつりて曰(のたま)はく、

「我が荒魂をば、皇后に近くべからず。

当に御心を広田国に居らしむべし」とのたまふ。

即ち山背根子が女(むすめ)

葉山媛(はやまひめ)を以て祭(いは)はしむ。

亦(また)稚日女尊(わかひるめのみこと)、

誨へまつりて曰はく、

「吾は生田長峡(ながを)国に居(を)らむとす」

とのたまふ。

因りて海上(うながみの)

五十狭芽(いさち)を以て祭はしむ。

亦(また)事代主尊、誨へまつりて曰はく、

「吾をば長田国に祠れ」とのたまふ。

則ち葉山媛の弟長媛(いろどながひめ)を

以て祭はしむ。

亦表筒男、中筒男、底筒男、三の神、

誨へまつりて曰はく、

「吾が和魂をば大津の渟中倉(ぬなくら)の

長峡に居さしむべし。

便(すなは)ち因りて往来ふ船を

看(みそなは)さむ」とのたまふ。

是に、神の教(みこと)の随(まにま)に

鎮め坐(す)ゑまつる。」


「ナカタ」

(Grk.),νίκες,niketes, 勝利者

νικιτερ,niketer 勝利者


◎住吉大社

〔大阪市住吉区住吉町〕

祭神:

第一本宮 底筒男命

第二本宮 中筒男命

第三本宮 表筒男命

第四本宮 息長足姫命(神功皇后)



「延喜式」神名帳

〔摂津國住吉郡〕

住吉坐神社四座 並名神大、

月次、相嘗、新嘗 「スミヨシ㋨」「スミノエ」

「全国神社名鑑」

三筒男の祭神は、神功皇后が三韓征討のとき、

皇軍を守護された海上守護の神で、

皇后の凱旋後、

皇后摂政11年に

神託によって鎮祭したのが当社の起源である。

息長姫命を祀したのは雄略天皇ときである。

初め皇后は三神の神告により
摂津國武庫郡莵原(現武庫郡住吉村の北方)の

海辺に住吉の津を定め、当社を現在地に奉遷した。

「住吉大社神代記」

住吉大神の摂津国鎮座

亦、表筒男、中筒男、底筒男の三軍神、

誨へて曰はく、

「吾が和魂(にぎみたま)は宣く

大御榮(おほみさかえ)の

大津の渟中倉(ぬなくら)の

長岡(ながおかの)峡(を)の國に居さしむべし。

便(すなは)ち往來(ゆきかふ)船を

看護(みそなは)さむ。」 

因(かれ)則ち手槎足尼(たもみのすくね)を以て

祭拝(いはひまつ)らしむ。

難破(なには)の長柄(ながら)に

泊(とまり)賜ふ。

膽駒山の嶺に登り座(いま)す時、

甘南備山奈良県平群郡三室山を寄さし奉る。

大神、重(また)宣(の)りたまはく、

「吾の住居(すま)はむと欲(おも)ふ地は、

渟名椋の長岡の玉出の峡(を)ぞと。

時に皇后勅(の)りたまはく、

「誰人かこの地を知れるや。」と。

今問はしめ賜ふ地は、

手槎足尼の居住地(すむところ)なり。」
とまをす。

「然かあれば替地(かはりのところ)を

手槎足尼に賜ひて、大神に寄さし奉るべし。」

と宣り賜ふ。

時に進みて手槎足尼の啓(まを)さく、

「今須(しらま)く替地をレ賜はらずとも、

大神の願ひ賜ふ随(まにま)に

己が家舎地(いへところ)等を以て、

大神に寄さし奉らむ。」

とまをして已(こと)了(をへ)き。

即、大神の住み賜ふこと

御意(みこころ)の如くなるに因りて、

住吉(すみのえ)の國と名を改め号し、

大社を定めたまひき。

即ち悦び賜ひて宣(おたま)はく、

「吾は皇后の神主となりたまひ

太襁褓(ふとつむき)を懸(か)けて、

齋祀たまふは享け賜はし。

手槎足尼に拝戴(いつ)かれて

二天皇君(すめらみこと)を夜の護り、

晝の護り奉り、

同じく天下の國家人民(みかどとおほみたから)を

護り奉らむ。」と宣り賜ふ。

時に皇后、神主となりたまふことを止め賜ひ、

「吾に代りて齋祀奉(いつきいはひまつ)らしむるに、

手槎足尼を神主となせ。」と勅(のら)し賜ふ。

仍、神主を奉ること已了(を)へき。

亦、大神宣(のたま)はく、

「若し手槎足尼等の子孫(うみのこ)の

過罪(つみとが)ありと雖も、

見決(つみなへ)たまはざれ。

若し当罪(あつべきつみ)を

勘(かむか)へ見決(さだむ)可きこと在らむ時は、

替りて吾その其の罪を受けなむ。

曾(ゆめ)な勘決(つみさだめ)しめたまひそ。」と。

爰に皇后、

「免奉(ゆるしまつ)りて、

自今以後(いまよりのち)犯せる罪も

見決(さだめ)まつらず。」

と勅答(こたへまを)して亦了(を)へき。

時に大神曰はく、

「此の勅旨(みことのり)に誤(たが)ひて、

若し見決(つみさだめ)らるれば、

天下の宗廟社稷(くにいへ)に

難(わざわひ)・病患(えやみ)・兵亂(みだれ)、

口舌(くちあへ)、

諸悪難疾疫(もろもろのあしきこと)の起る在らむ。」

と盟宣(うけひ)賜ひき。

仍(かれ)件(そ)の宅地(いへところ)に

御社を定めて、

齋主(いはひぬし)を奉りて

奉鎭祭(しずめまつ)りき。

亦、皇后の御手物(みてつもの)、

金絲(くがねのいと)・利(たたり)・

麻桶笥(をけ)・(かせ)・一尺鏡四枚・

剱・桙・魚鹽地(なしほのところ)を

寄さし奉(まつ)りて賜ひ、

「吾は御大神と共に相往まむ。」

と詔り賜ひて、御宮を定め賜ひき。

是を以て渟中椋(ぬなくら)の

長岡の玉出の峡を改めて

住吉(すみのえ)と号(まお)す。

これより大神の座(まし)賜ふ

処処(ところどころ)を住吉と称(まお)しき。

亦、大神宣り賜はく、

「吾、天野高野山の近く・錦織(にしこり)・

石川・高尾張・膽駒・

甘南備山等の榊(さかきの)黒木・

土毛土産(くにつもの)・

菓(このみくさのみ)并に荷前(のさき)、

及錦刀の嶋物(しまつもの)・

海藻(め)等の物を以て齋祀(いはひまつ)れ。」と。

神の教の随(まにま)に以て鎭祭(しずめまつ)りぬ。

則ち平(ひら)に海を渡ることを得賜ふ。

境内神社(船玉神社)

祭神:猿田彦神、天鳥船命



「延喜式」神名帳


摂津國住吉郡船玉神社 訓「フナダマ」

鳥船「トリ」

(Grk.),τρι,tri 「三の」「三段の」<Eng-three>

三段船:三段橈船:軍船

三段橈船(Grk.),,tri-hris、,tri-hreos 橈、橈柄


境内神社(大海(だいかい)神社)

祭神:不詳




「延喜式」神名帳

摂津國住吉郡

大海神社二座

元国津守、氏人神 訓「オホワタツミ」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia) 三段橈船