2019年5月14日火曜日

漢字「八咫烏」の語義

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東征軍を引導したヤタガラスの行幸遍路

歴史学講座「創世」
歴史研究家 
小嶋秋彦 

 漢字「八咫烏」の語義

 『古事記』「八咫烏」
 『日本書紀』「頭八咫烏」の語義

 (1)咫(大漢和辞典)
   シ、chich³ 
      ➀尺度の名
   ②僅かの距離
   ③少ないたとへ、近いたとへ

   邦:あた、た、手の意、手いっぱいの長さ

 (2)八咫烏
   "八尺の烏(身の丈)"
   "手いっぱい八っの大きさの烏"

 (3)頭八咫烏
   "八尺の烏(頭の大きさが八尺の烏)"
   "手いっぱい八っのの大きい烏"

 (4)"大きな烏"『古事記』の序にある
   「大烏」に相当する
 神倭天皇 經歴于秋津嶋 化熊出爪 
 天釼獲於高倉 生尾遮徑 大烏導於吉野 
 列(イ+舞)攘賊 聞歌伏仇 即覺夢而敬神祇

 神倭(かむやまと)の天皇(すめらみこと)、
 秋津嶋を經歴したまいき。 
 化熊(かゆう)爪を出(いだ)して、
 天釼(てんけん)を
 高倉(たかくらじ)に獲(え)、
 生尾(しょうび)徑(みち)を遮(さえぎ)りて、 
  大烏(たいう)吉野に導きき。
 (イ+舞)(まい)を列(つら)ね
 賊(あた)を攘(はら)い、
 歌を聞き仇(あた)を伏(したが)えたまいき。  
 即ち夢に覺(さと)りて
 神祇を敬(うやま)いたまいき。

 八咫烏とは
 https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%85%AB%E5%92%AB%E7%83%8F%E3%81%A8%E3%81%AF&aq=2&oq=%E5%85%AB%E5%92%AB%E7%83%8F&at=s&ai=7DfGdlnmRoeAijPZaLOacA&ts=19385&ei=UTF-8&fr=sfp_as&x=wrt

 八咫烏とは 画像
 https://search.yahoo.co.jp/image/search?aq=2&oq=%E5%85%AB%E5%92%AB%E7%83%8F&at=s&ai=7DfGdlnmRoeAijPZaLOacA&ts=19385&ei=UTF-8&p=%E5%85%AB%E5%92%AB%E7%83%8F%E3%81%A8%E3%81%AF+%E7%94%BB%E5%83%8F&rs=1&spro=0&fr=sfp_as



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尾生る人『古事記』吉野河、『古事記』序

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東征軍を引導したヤタガラスの行幸遍路

歴史学講座「創世」
歴史研究家 
小嶋秋彦 

 「尾生る人『古事記』吉野河、『古事記』序

 (1)『古事記:神武天皇東征』
  即入其山之 亦遇生尾人 此人押分巖而出來 
 爾問汝者誰也 答曰僕者國神 名謂石押分之子 
 今聞天神御子幸行故 
 參向耳【此者吉野國巣之祖】 
 自其地蹈穿越幸宇陀 故曰宇陀之穿也

  即ち其の山に入りたまえへば、
 亦尾生る人に遇ひたまひき。 
 此の人、巖を押し分けて出で來たりき。 
 爾に「汝は誰ぞ」と問ひたまへば。 
 「僕は國つ神、名は石押分之子と謂ふ。
  今、天つ神の御子、幸行でましっと聞けり。
  故參向へつるにこそ。」と答へ曰しき。
  【此は吉野の國巣(くず)の祖】」。 
 其地より穿ちて越えて宇陀に幸でましき。 
 故、宇陀の穿(うがち)と曰う。
 ※この「尾生る人」は「天つ神の御子」=
  神武東征軍を歓迎した。
  そして「踏み穿ち越えて陀に幸でましき」。
  つまり
  "道なき道を開拓(穿ちて)して
   宇陀に行くことができた"

 (2)『古事記』序
  化熊出爪 天釼獲於高倉 生尾遮徑
 大烏導於吉野

  化熊川を出でて、天釼を高倉に獲、
 生尾徑を遮りて、大烏吉野に導きき。
 
 ※「生尾」人は「神武東征軍」を「遮った」。
  つまり、
  その徑(行先)を遮って進軍の邪魔をした。
  ここでは「生尾人」は
  「神武東征軍」に抵抗した。
 ※「大烏」はその抵抗のため「神武東征軍」を
  吉野方面へ引導した。

 (3)「神武東征軍」は吉野に入る前で進軍を
  止められ停止・滞留してしまった。

 (4)「尾生る人」の出自
  尾生「オウ〔ホ〕」
   (Sk.)aha 日、昼 ahas-kara 太陽

  ○「尾生る人」は日神〔太陽神〕崇拝の族、
   つまり「多氏」の族類

  ○多氏は田原本町の多神社を中心に
   周辺を本拠地とする。

   多氏の本貫地は九州筑後国三家郡で
   邪馬台国所在地であった
   太陽信仰〔日奉・日置〕の人々
   多氏族の九州から「大倭」への移動に
   ついては拙著「日本創世記」に詳しい。

 
  ○多氏の出自はインドアジア大陸の
   アーリア人である。

   インドの神話の開闢の祖神の伝承に
   nāga-randra-kara
   〔岩を切り裂いて貫通させる神話〕があり、
   その神名を kumāra という。

      田原本町の多神社の正門の向いに鎮座する
   神社「小社神社」の「コモリ」は
   その kumāra の音写に依る。

   『古事記』のいう
   「石推分」とか、「穿ち越え」は
   その伝承を記録したものである。

   「尾生る人」との表記は
   上記 nāga は本来「山」であるが、
   同音の別語「竜(大きな蛇)」を表す。

   多氏の勢力圏でであった信州〔長野県〕には
   「泉小太郎」〔別称"竜の子"〕なる伝承がある。
   母竜を「犀竜」という。
   いかにもアーリア人の神話を継承した表記である。

 (5)「生尾」『古事記』序
   生尾「セイビ」あるいは「セーピ」
    (Sk.)sarpa 蛇、爬行する、這う
   "尾生る人"にして nāga〔竜〕に対応した呼称で
   漢字転記が容易だったはず。

 (6)「尾生る人」「生尾」は
   どこで「神武東征軍」の進攻を遮ったのか。

   佐味(東西)〔御所市の南端、五条市との境界〕
   この呼称は「さび」である。
   「サビ」は(Sk.)sarpaの音写。
   彼の勢力はここにあった。
   ➀吉野近く
   ②他氏勢力圏のうち

  ※「神武東征軍」と彼らの居留地を
    攻略されるのを嫌って抵抗したのである。

 (7)『古事記』
   尾生る人、井より出で来しき~
   「僕は国つ神、名は井氷鹿と謂ふ」
   烏井戸・井戸
    〔御所市、高鴨神社(鴨神)の北方近く〕
   五百家:井氷鹿/イピカ
    〔御所市、高鴨神社と烏井戸の間の地名〕

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『記・紀』及び『風土記』が述べる「神武東征軍の」停留地

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東征軍を引導したヤタガラスの行幸遍路

歴史学講座「創世」
歴史研究家 
小嶋秋彦 

 「『記・紀』及び『風土記』が述べる「神武東征軍の」停留地


 (1)『古事記』
  ○尾生る人に会いし所:吉野河の河尻

 (2)『日本書紀』
  ○熊野の荒坂津(から)山の中嶮絶して、
   復行くべき路無し、乃ち棲遑ひて、
   其の跋み渉かむ所を知らず。

 (3)~山路嶮絶、越え行く方角が分からないので
   躊躇していると~

 ※具体的な地名は「吉野河の河尻」と
  吉野川沿いにあるいは
  水源と推測される阿知賀〔吉野郡下市町〕: 
  吉野川左岸の地区名

  アチカ(Grk.)Attikh
     アテナイを中心とする地域(イオニア人の土地)

  下市の「市:イチ」
   (Grk.)āütŋ戦闘、威声、音響

  〇ここが「尾生る人」との戦闘が行われた「戦場」

 (4)「神武東征」は本来「崇神東征」との解釈は
   「日本創世記」などに詳しく紹介した
   崇神天皇の勢力〔大伴氏〕は
      ギリシャ系人々の末裔

  〇『日本書紀』(神武即位前期)
   是の時、大伴氏の遠祖、
   日臣命(ひのおみのみこと)、
   大来目(おおくめ)を帥ひて、
   元戎(おおつわもの)に
   督将(いくさのきみ)として、
   山を蹈み行を啓き、
   乃ち烏の向かへるを尋(と)め、
   仰ぎ視て追ふ。
   遂に菟田の下県に達(いた)る。
   因りてその至れる処を号けて
   菟田の穿邑(うかちのむら)と曰ふ。

   「大伴:オホトモ」
    Ευθυδεμος
    Ευ-θεo-θαυμαξω
           

      〔繁んに神を崇拝する〕=
    崇神(第10代天皇:崇神天皇名)
 
   日臣命「日=ヒ」
    (Grk.)βια権力、兵力

   道臣「道=ミチ」
    (Grk.)μιτις智恵・智謀:「参謀」

   天忍日命「忍日=オシヒ」
    (Grk.)οσια神の掟:祭儀・神を祀る事>
               敬神・崇神

    οσιηοσιαに同じ

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ヤタガラス〔八咫烏〕の登場及びその出自

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東征軍を引導したヤタガラスの行幸遍路

歴史学講座「創世」
歴史研究家 
小嶋秋彦 

 「ヤタガラス〔八咫烏〕の登場及びその出自

 (1)八咫烏の登場
   A 『古事記』:
   是(ここ)に亦、
   高木大神の命以ちて覚(さと)し
   白(まを)しけらく、
   「天つ神の御子を此れより奥つ方に
   莫(な)入り幸(い)でまさしめそ。
   荒ぶる神甚多(いとさは)なり。
   今、天(あま)より八咫烏(やたからす)を
   遺(つか)はさむ。
   故、其の八咫烏引道(みちひ)きてむ。
   其の立たむ後(あと)より幸行(い)でますべし。」
   とまをしたまひき。
   其の教へて覚(さと)しの隨に、
   その八咫烏の後より幸行でませば、
   吉野河の河尻に到りましし時~
   於是亦 高木大神之命以覺白之 天神御子 
   自此於奧方莫便入幸 荒神甚多 
   今自天遣八咫烏 故 其八咫烏引道 
   從其立後應幸行 故隨其敎覺
   從其八咫烏之後幸行者 
   吉野河之河尻時

   B  『日本書紀』:
   既(すで)にして皇師(みいくさ)、
  中州(うちつくに)に趣かむとす。
  而るを山の中嶮絶(さが)しくして、
  復行(またい)くべき路無し。
  乃ち棲遑(しじま)ひて其の跋(ふ)み渉(ゆ)かむ
  所を知らず。
  時に夢みらく、
  天照大神(あまてらすおほみかみ)、
  天皇に訓(をし)へまつりて日(のたま)はく、
  「あれ今頭八咫烏を遺す。
   以て郷導者(くにのみちびき)としたまへ」
  とのたまふ。
  
  果して頭八咫烏有りて、
  空より翔(と)び降(くだ)る。
  天皇の日はく、
  「此の烏の来ること、
     自づからに祥(よ)き夢に叶へり。
     大きなるかな、赫(さかり)なるかな。
      我が皇祖天照大神、以て基業(あまつひつぎ)を
      助け成さむと欲せるか」とのたまふ。

  而山中嶮絶 無復可行之路 
   乃棲遑不知其所跋渉 時夜夢 
    天照大神訓于天皇曰 朕今遣頭八咫烏 
    宜以爲郷導者 果有頭八咫烏 自空翔降 
    天皇曰 此烏之來 自叶祥夢 大哉 赫矣 
    我皇祖天照大神 欲以助成基業乎 

 (2)八咫烏の出自※その具体的族類

   A 八咫烏神社〔奈良県宇陀郡榛原町高塚〕
   「神道大辞典」
   奈良県宇陀郡伊那佐村大字高塚に鎮座。懸社。
   祭神鴨建角身命を祀る。
   神武天皇中洲征平の時、この神、八咫烏となって
   虚空より翔飛し皇軍を導き奉り功績を建て、
   故を以て葛野縣主に封ぜられ、
   子孫は葛野または加茂を氏とした。
   慶運年中その旧跡に社殿を創立せらる。
   蓋し当時は葛野氏人をして
   祭祀を掌らしめられたのであらう。
   其後も、氏人は毎年参詣するを例とした。
   延喜の制小社に列し、  
   新年の官幣に鍬靭・各一口を加へられる。
   例祭日、十月二十日。
   ※つまり、八咫烏の本名は「鴨建角身命」

   B 山城国風土記逸文
   賀茂の建角身命、
   神倭石余比古(かむやまといわれひこ)の
   御前に立ち坐して、大倭の葛木山の峯に宿りまし、
   漸に遷りて、
      山代の国の岡田の賀茂に至りたまい、
   山代河の隨(まま)に下り坐して、
   葛野河と賀茂河の会う所に至り坐し(中略)
   その川より上り坐して、
   久我の国の北の山基(やまもと)に定まり坐しき》

   ※つまり建角身命である八咫烏
    「大倭の葛木山の峯に宿」っていたのである。
    「大倭」とは「大和」で「奈良県」指す。

   C 「葛木山」とは(現)金剛山〔奈良県御所市高天〕
   同山近くに「葛木神社」が鎮座している。
   
   〇北方〔御所市櫛羅〕に「葛木山」があるが、
    当該の山とはみられない。
   〇『日本書紀』雄略天皇紀に
          「葛木山」の表記あり。
 
   〇「高天」地区には「高天彦神社」が鎮座する。
    「高天:タカマ」(Sk.)熱〔太陽を表す〕
      tigama

   〇また至近の地に「鴨神」との地区があり、
    「高鴨神社が」鎮座する。
    奈良県御所市の金剛山東山麓にある神社。
    式内社(名神大社)。社格は県社。
    京都の賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)を
    始めとする全国のカモ(鴨・賀茂・加茂)神社の
    総本社と称する。
    祭神:
    阿治須岐高日子根命(迦毛之大御神)を
         主祭神とし、
    下照比売命・天稚彦命を配祀する。
    阿治須岐高日子根
    アジ・スキ・タ・カ・ヒ・コネ〔ud-šig・du・gen-hu・gen〕
     ud〔太陽〕
     šig〔高位の〕
         du〔行く・来る〕
         gen〔行く〕
         hu〔鳥〕
         gen〔行く〕
 
    語義:鳥が行き来する高天の太陽
    udと同じ発音の語にuz〔鳥・鴨〕がある。
    「高鴨」とは"高天の太陽"となる。
     
    「鴨神:カモカミ」
     (Sk.)gamā-gama 往来<往ってまた来る
      〔英語のcome-come〕
     これは「太陽」を表す。
     1日に日の出(来る)から日没(行く)が、
     また次の日に「来て」「行く」の繰り返し
    つまり、これも「高鴨」と語義は同じ

  ※「高天」「鴨神」のある地域は
   太陽〔天照大御神〕信仰の族類がいた。
   太陽信仰の人々とは
   「尾生る人」にして「多氏」であった。
   「鴨神」地区は西佐味・東佐味〔御所市〕の
   北側に接している。
 
   「佐味」とは「生尾」と同音の語「さぴ」

 「ヤタガラスの語義及びその当該地名」

   (1)『古事記』  八咫烏引導きてむ
     『古事記』序 大烏吉野に導きき

    (2)すなわち、烏の向ひの尋に仰ぎ視て追ふ。

  ※ヤタガラスには「導く」との役目があった。

   (3)「ヤタ」(Sk.多氏の言葉)yudh 戦士、兵、戦闘・合戦
   Yudh(Sk.)yuddhacārya 軍師
   「ガラス」(Sk.)Kŗş、karşati
      導く、引く・引き廻す、支配する・圧倒する。

  ※「ヤタガラス」ydh-karşati〔兵を導く〕 

  ※「烏」となった理由
     (Sk.)karaţa 烏(鳥)、Kŗş に発音が近似

   (4) Kŗş、karşati〔導く、引く〕の別変化
      karaşayati(te) 引く、曳く、抑圧する
      kara-ya-:「クリヤ:久留野」
                     久留野峠、久留野町、西久留野町
                          〔五條市佐味の南に近い〕

  ※多氏系族類[尾生る人]は彼等の生活圏に
    東征軍が侵入することを防ぐため、
    軍兵を組成し、東方〔大宇陀町・吉野町〕へと
    東征軍を引導したのである。
  
   多賀神社[五條市西河内町]
   https://yaokami.jp/1290522/
   「タカ」ταξις〔taksis〕部隊、戦列、隊列

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