2019年3月17日日曜日

桶と樽

『歴史徒然』(Rekishi Tsuredure) http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/

『歴史徒然』(History Tsuredure) https://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara
『歴史創世』(Rekishi Sousei) https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/
『歴史再考』(Rekishi Saikou)https://momo-momo-matmkanehara-momo.blogspot.com/
『至福の時:イキガイ』http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/56770049.html
『猶本光サポーターズサイト』http://hikaru-naomoto.net/
『浦和レッズレディース』http://www.urawa-reds.co.jp/ladies/


⚽☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪⚽


《桶と樽

加治木義博

言語復原史学会・加治木義博
日本人のルーツ138~139頁

 「桶と樽の重要性」 

 日本にある大抵のものは、
 すべて海外で簡単に見つかる、
 というような気持ちになってしまうと思う。

 だから甘粛省甘南地区卓尼(チョニ)県の
 写真:日本人のルーツ:92~93頁
    少女(天秤棒水桶)の写真にも、
 それほど驚かれなかったのではあるまいか。

 「桶」や「樽」というのは、
 近年のプラスチックや金属全盛時代にはいって、
 だいぶ姿が少なくなったが、
 それでも珍しいというほどではない。

 だれでもが知っている木製器具である。

 そのルーツは?と問えば、
 たいていの人が「中国」と答える。

 それはどちらも漢字名だからである。

 しかし、
 実は中国には唐代になるまで
 「桶」も「樽」もなかったのである。

 それはむしろヨーロッパ文明だといっていい。

 ヨーロッパにワインの樽が転がっている時、
 中国人は
 そんな器具があることさえ知らなかった。

 では桶という文字は
 後世になってから作られたのかというと
 そうではない。

 有名な『史記』に
 「斗桶権衡」という言葉が出てくる。

 だからあるにはあったが、
 意味がちがっていたのである。

 斗も桶も桝のことで
 日本の「オケ」に当たるものではない。

 樽の方も中国では銅または陶器で作った
 「尊」という大コップがあっただけで、
 たとえば日本の酒樽に当たるものは、
 すべて焼き物の甕か壷であった。

 しかし、
 日本では焼物の方が大変な貴重品で、
 農業用の肥桶や家庭の水桶は、
 ごく一般的なものであった。

 それは中国以外の土地から農業と共に
 やって来たのである。

 「誤解を生む大国名」

 中国に桶がなかったというと、
 それではチョニにもなかった、
 ということになってしまう。

 チョニは中国の甘粛省の町の一つだからである。

 だがこれは正確ではない。

 チョニは
 古代は中国に属していなかったのである。

 こうしたことはインドについてもいえるし、
 タイやラオスでも同じである。

 国というのは大きくなったり、
 小さくなったり、生まれたり消えたりする。

 元の時代の中国は
 ヨーロッパの一部までとどいていたのであり、
 今の北部タイは近世までは
 別のラオス人の国であった。

 そして、太平洋戦争前と後で、
 世界地図がどんなに変わったかは常識である。

 それまで
 フランス領インドシナといっていた地域が
 ベトナム、ラオス、カンボジアになり、
 オランダ領インドシナといっていた地域が、
 インドネシアとして独立したのである。

 いうまでもなく
 広大な地域をさす中国とかインドとかいう名で、
 ルーツを示すのは誤解のもとである。

 インドには840におよぶ方言があるといわれる。

 その中には
 色の白いアーリア系から、
 黒いドラビダ系、
 黄色のモンゴロイド系、
 小人のアンダマン黒人などまで含まれているし、
 中国にも漢民族以外に
 満州系や
 蒙古系、
 イラン系といった大族があり、
 多数の少数民族を含んでいる。

 それがまた間断なく移動している。

 だから
 漠然とした表現の
 北方人とか南方人とかはもちろん、
 インド人、中国人といった表現も
 正しい答えをくるわせる。

 学問上はもっと精密な表現が必要である。

 『語句説明』出典: フリー百科事典
 『ウィキペディア(Wikipedia)』

『桶』

『樽』

『斗』

『桝』

『尊

『甕』

『壺』

『天秤棒』

『ワイン』

『史記』

『甘粛省甘南(Gannan)地区卓尼県(Zhuoni)』

『甘南チベット族自治州』

『甘粛省・甘南チベット族自治州ランムー寺の晒仏祭』

『チベット』

『ラマ教』

『アーリア人』

『ドラヴィダ人』

『モンゴロイド』

『アンダマン諸島』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%B3%E8%AB%B8%E5%B3%B6

日本人のルーツ:92~93頁
『言語復原史学会:加治木義博』
保育社「カラーブックス」

「盲点にあった源流
 百済系日本人のルーツはどこか」

 日本の仏教は百済から入り、
 百済へは中国から渡来したというが、
 それを具体的に示すものはなかった。

 91ページのチョニには能装束の他にも、
 日韓と共通の風俗が沢山ある。

 ことに仏教に関連して、
 一見奈良を思わせる多くの共通性が、
 他のどの地域にも見られない程大量にある。

 ここにあげなかったが
 高さ12mに及ぶ大仏までそろっている。
 チョニはチベットとモンゴルに隣接するので
 当然ラマ教であるが、
 どちらにも共通性をもたずに、
 かえって日韓の方に近いのである。

 百済仏教なるものの正体と、
 百済人の日本への帰化等の、
 謎を解明する鍵がチョニにはある。

 「能面」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%BD%E9%9D%A2

 「チベット仏教」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E4%BB%8F%E6%95%99

 「密教」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%86%E6%95%99


 「写真」



 ●「田毎の月」を思わせる棚田が中心経済

 「棚田」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%9A%E7%94%B0

 ●奈良を思わせる寺院建築

 ●チャンテン寺の経蔵

 ●天びん棒と水桶と

 「天秤棒」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%A7%A4%E6%A3%92

 ●チョニのお練り供養
 「浄土寺 (小野市)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E5%AF%BA_(%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%B8%82)

 「太山寺 (神戸市)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B1%B1%E5%AF%BA_(%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%B8%82)

 「池上本門寺」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E4%B8%8A%E6%9C%AC%E9%96%80%E5%AF%BA


 ●烏帽子のルーツ
 「烏帽子」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%83%8F%E5%B8%BD%E5%AD%90

 ●中国の甘粛省チョニ近辺地図(黄河の上流)

 「甘粛省」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%98%E7%B2%9B%E7%9C%81

 「甘南チベット族自治州」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%98%E5%8D%97%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E6%97%8F%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%B7%9E

 「チョネ県」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%93%E5%B0%BC%E7%9C%8C

 『参考』
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
  http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html
  http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html

 古墳(森浩一著)
 http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1597570.html
 
 「東京国立博物館所蔵文化財一覧」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E6%89%80%E8%94%B5%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E4%B8%80%E8%A6%A7

 「橿原考古学研究所」
  http://inoues.net/museum2/kashihara2005.html

 「(財)なら・シルクロード博記念国際交流財団」
  http://www.nifs.or.jp/index.html

 「辰馬考古資料館」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B0%E9%A6%AC%E8%80%83%E5%8F%A4%E8%B3%87%E6%96%99%E9%A4%A8

 「フリーア美術館」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%A2%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8

 「古代オリエントにおける東西文化の交流」ギラーン州出土
http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/orient/exchange.html

 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 「縄文人」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA

 「縄文時代」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3

 「縄文式土器」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E5%BC%8F%E5%9C%9F%E5%99%A8
 
 「縄文時代の遺跡一覧」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E9%81%BA%E8%B7%A1%E4%B8%80%E8%A6%A7

 「メソポタミア」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2

 「オリエント」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88

 M.K記(責)
 連絡先:090-2485-7908

0 件のコメント:

コメントを投稿