2019年4月19日金曜日

鴨建角身命と加茂神社〔京都府〕

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鴨建角身命と加茂神社〔京都府〕

歴史学講座「創世」
歴史研究家 
小嶋秋彦 


※『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代
https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-12

※「神聖の系譜」出版協賛のお願い

 鴨建角身命と加茂神社〔京都府〕

 (1) 「山城国風土記」逸文"加茂社" 

 山城國:賀茂社
  山城の國の風土記に曰はく、可茂の社。

 可茂と稱(い)ふは、
 日向(ひむか)の曾の峯(たけ)に
 天降(あも)りましし神、
 賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)、
 神倭石余比古
   (かむやまといはれひこ・神武天皇)の
 御前(みさき)に立ちまして、
 大倭の葛木山(かづらきやま)の峯に宿りまし、
 彼より漸(やくやく)に遷りて、
 山代の國の岡田の賀茂に至りたまひ、
 山代河(木津川)の隨(まにま)に下りまして、
 葛野河(かどのがは・桂川)と
 賀茂河との會ふ所に至りまし、
 賀茂川を見迥(はる)かして、言りたまひしく、
 「狹小(さ)くあれども、
  石川の淸川(すみかは)なり」
 とのりたまひき。

 仍(よ)りて、
 名づけて石川の瀬見(せみ)の小川と曰ふ。
 
 彼の川より上りまして、
 久我の國の北の山基(やまもと)に
 定(しづ)まりましき。
 爾の時より、名づけて賀茂と曰ふ。
 
 賀茂建角身命、
 丹波の國の神野の
 神伊可古夜日女(かむいかこやひめ)に
 み娶(あ)ひて生みませる子、
   名を玉依日子と曰ひ、
 次を玉依日賣(たまよりひめ)と曰ふ。
 
 玉依日賣、石川の瀬見の小川に川遊びせし時、
 丹塗矢、川上より流れ下りき。

 乃(すなわ)ち取りて、床の邊に插し置き、
 遂に孕(はら)みて男子(をのこ)を生みき。

 人と成る時に至りて、
 外祖父、建角身命、八尋屋を造り、
 八戸の扉を竪て、八腹の酒を醸(か)みて、
 神集(かむつど)へ集へて、
   七日七夜樂遊したまひて、
 然して子と語らひて言りたまひしく、
 「汝の父と思はむ人に此の酒を飮ましめよ」
 とのりたまへば、
   即(やが)て酒坏を擧(ささ)げて、
 天に向きて祭らむと為(おも)ひ、
 屋の甍を分け穿ちて天に升(のぼ)りき。
 乃ち、
 外祖父のみ名に因りて、
   可茂別雷命と號(なづ)く。

 謂はゆる丹塗矢は、
 乙訓の郡の社に坐せる
 火雷神(ほのいかつちのかみ)なり。
 
 可茂建角身命、丹波の伊可古夜日賣、玉依日賣、
 三柱の神は、蓼倉(たでくら)の里の
 三井の社(やしろ)に坐(いま)す。

『「釈日本紀-巻九-」所引、山城国風土記逸文』
  岩波書店「日本古典文学大系」第二巻『風土記』

 (2) 賀茂社(可茂社)
  〇「延喜式」神名帳 山城国愛宕郡
   賀茂御祖神社二座[カモノミオヤ]
   (並名神大。月次相甞新甞。) 
   (現)下鴨神社。 
       京都府京都市左京区下鴨泉川町

  賀茂御祖神社 :御神徳
  御祭神は、日本のれい明期において、
 早くから京都地方を開拓し農耕殖産の道を教え 、
 更に正邪を糺して裁判の基を開かれた。

 かの神武天皇の御東遷に際しては、
 金鵄・ 八咫烏としてその霊徳を現され、
 建国創業をたすけ、
   民生の安定に貢献されたことは 
 古典や伝承の示すところである。

 また玉依媛命は、
   賀茂別雷神社(通称上賀茂神社) 
 の祭神「別雷神」の御母神であり、
 婦道に御功績が多かった。

 かくて当神社に対する信仰は
 往古から甚だ根強いものがあり、
 特に王朝時代に隆盛を極め今日に至っている 。

 千数百年の伝統を誇る葵祭は、勅祭として、
 今もなお昔ながらに継続斎行されている。

 殖産興業、五穀豊穣、馬事安全、縁結び、安産、
 育児、方除け、印鑑守護等、
   多方面にわたる御神徳は、
 今日の賀茂信仰の根底をなしている。

 また観光部面においても、
 王朝の昔を偲ぶ十二単衣の着付と
 王朝女人の雅楽舞、舞楽等があり、
 毎日、京都 市観光バスのK・Nコースによって
 好評を博している。

  a.賀茂 可茂 鴨「カモ」
   (Grk.)κομαυ〔kmau〕(植物が)繁茂する
   糺の森「タダス    」
   (Grk.)δυο-δασος〔duo-dasos:二つの森〕
   ※河合神社〔京都市左京区下鴨泉川町59〕
     下鴨神社の南側、(現)賀茂川と高野川の
     合流地近くに鎮座   
   「延喜式」神名帳 
     山城國愛宕郡鴨川合坐小社宅神社名神大
   「二つの森(茂み)」とは下鴨神社と川合神社
    2つの神社の「森」

  b.賀茂 可茂 鴨「カモ」
   (Sk.)gharma (太陽及び火の)熱、暑
      gharma-dyuti 太陽
   高鴨神社〔奈良県御所市高天〕の
         「鴨」の移入
 
 (3) 御祖(みおや)    
  〇御祖「ごそ」は
         御所市(奈良県)に語源を同じくする
 (Sk.)ghasa 雷音、響<御所市古瀬も同じ>
 賀茂別雷神社kakko〔京都市北区上賀茂本山〕
 祭神:別雷神
   「延喜式」神名帳

  ※下鴨神社は「雷神」であり、
   そこから上賀茂社の祭「別雷神」が分かれた
   両賀茂社の御幣は「赤幣」で「稲光」を
   直接的に表す。

 (4) 鴨建角身命名の由来
  建「タケ」
   (Grk.)ταγειο〔tageio〕支配する 
   (Grk.)τυγι〔tugi〕
    (名詞)支配者、命令を下す者、戦列・前線
  角身「ツノミ」
   (Grk.)δυναις〔dunamis〕戦力、兵力
  建角身「タケ・ツノミ」
   (Grk.)ταγειο-δυναις
           〔tageio-dunamis〕
        戦力を支配する〔軍団に命令を下す者〕

  ※「タケ・ツノミ(建角身)
           〔戦力を支配する者〕」は
   「ヤタガラス〔yudh-karṣati:
    兵を導く(支配する)〕」との
   サンスクリット語をギリシャ語に翻訳した
   ギリシャ語名である。

  ※よって「建角身命」は「八咫烏」の
         人格名である。

 (5) 「新撰姓氏録」の賀茂縣主・鴨縣主
   山城國 神別 天神 
      鴨縣主・賀茂縣主同祖。
        神日本磐余彥天皇【謚神武。】欲向中洲之時、
   山中嶮絕、跋涉失路。
   於是、神魂命孫鴨建津之身命、
   化如大烏翔飛奉導、遂達中洲。
   天皇嘉其有功、特厚褒賞。
   天八咫烏之號、從此始也。

  ※「八咫烏」は
   「鴨津身命(武)津之身命」の別称、
          名である。

   「津之身」「津身」は「角身」の別表記で
   「ツノミ」と同音。

  〇鴨長明〔「方丈記」の作者〕は
   賀茂御祖神社の神職賀茂縣主の一族である。

 M.K記(責)  
 連絡先:090-2485-

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