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《月氏・大月氏・月支・伊都の由来と太秦》
歴史学講座「創世」
歴史研究家
小嶋秋彦
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《弓月君〔秦氏〕の日本渡来伝承》
『日本書紀』応神天皇と定住地<奈良県>
『新撰姓氏録』(平安時代:弘仁6年7月20日)
左京諸藩上 太秦公宿祢
秦始皇帝三世孫孝武王也
男功満王。
帯仲彦天皇[謚仲哀。]八年来朝。
男融通王[一云弓月王。]誉田天皇[謚応神。]
十四年。
来率廿七県百姓帰化。
献金銀玉帛等物。
大鷦鷯天皇[謚仁徳。]御世。
以百廿七県秦氏。分置諸郡。即使養蚕織絹貢之。
天皇詔曰。秦王所献糸綿絹帛。朕服用柔軟。
温煖如肌膚。仍賜姓波多。次登呂志公。
秦公酒。大泊瀬幼武天皇[謚雄略。]御世。
糸綿絹帛委積如岳。
天皇嘉之。賜号曰禹都万佐
※大(太)秦:ウヅマサ
※禹都万佐(ウヅマサ)
山城国諸蕃 秦忌寸 太秦公宿祢同祖
秦始皇帝之後也
功智王。弓月王。誉田天皇[謚応神。]
十四年来朝。
上表更帰国。率百廿七県伯姓帰化。
并献金銀玉帛種々宝物等。天皇嘉之。
賜大和朝津間腋上地居之焉。
男真徳王。次普洞王。[古記云。浦東君。]
大鷦鷯天皇[謚仁徳。]御世。賜姓曰波陀。
今秦字之訓也。次雲師王。次武良王。
普洞王男秦公酒。
大泊瀬稚武天皇[謚雄略。]御世。
偁奏。普洞王時。秦民惣被劫略。
今見在者。十不存一。
請遣勅使撿括招集。天皇遣使小子部雷。
率大隅阿多隼人等。捜括鳩集。
得秦民九十二部一万八千六百七十人。
遂賜於酒。爰率秦民。養蚕織絹。
盛?詣闕貢進。如岳如山。積蓄朝庭。
天皇嘉之。特降籠命。賜号曰禹都万佐。
是盈積有利益之義。役諸秦氏搆八丈大蔵於宮側。
納其貢物。故名其地曰長谷朝倉宮。
是時始置大蔵官員。以酒為長官。
秦氏等一祖子孫。或就居住。或依行事。
別為数腹。天平廿年在京畿者。
咸改賜伊美吉姓也
※融通王 (Heb.),Iēדַה,IDH,Iēdah
※波陀(ハタ)
※禹都万佐(ウヅマサ)
証人、立会人:弓月〔月氏 yue-zhi〕
『日本書紀』巻第十 譽田天皇 應神天皇
十四年春二月 百濟王貢縫衣工女 曰眞毛津
是今來目衣縫之始祖也
◎是歳 弓月君自百濟來歸 因以奏之曰
臣領己國之人夫百廿縣而歸化 然因新羅人之拒
皆留加羅國 爰遣葛城襲津彦
而召弓月之人夫於加羅 然經三年
而襲津彦不來焉
卅七年春二月戊午朔 遣阿知使主・都加使主於呉
令求縫工女 爰阿知使主等 渡高麗國 欲逹于呉
則至高麗 更不知道路 乞知道者於高麗
高麗王乃副久禮波・久禮志 二人 爲導者 由是
得通呉 呉王 於是 與工女兄媛・弟媛
呉織 穴織 四婦女
卌一年春二月甲午朔戊申 天皇崩于明宮
時年一百一十歳 【一云 崩于大隅宮】
◎是月 阿知使主等 自呉至筑紫 時胸形大神
有乞工女等 故以兄媛奉於胸形大神
是則今在筑紫國 御使君之祖也
既而率其三婦女
以至津國 及于武庫 而天皇崩之 不及
即獻于大鷦鷯尊 是女人等之後
今呉衣縫・蚊屋衣縫是也
※弓月君自百濟來歸 因以奏之曰
臣領己國之人夫百廿縣而歸化 然因新羅人之拒
皆留加羅國 爰遣葛城襲津彦
而召弓月之人夫於加羅 然經三年
而襲津彦不來焉
弓月君、百済より来歸り。
因りて奏して曰さく、
「臣、己が國の人夫百二十縣を領ゐて歸化く。
然れども新羅人の拒くにりて、
皆加羅國に歸れり。」
と申す。
爲に葛城襲津彦を遣わして、
弓月の人夫を加羅に召す。
然れども三年経るまでに襲津彦來ず。
※弓月<本来は人名ではなく、集団の呼称>
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
⦅Tell Arpachiyah (検索)⦆
⦅ハラフ期の土器について⦆
⦅ハブール川⦆
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
⦅ARPACHIYAH 1976⦆
⦅高床式神殿⦆
⦅牛頭を象った神社建築の棟飾部⦆
⦅神社のルーツ⦆
⦅鳥居のルーツ⦆
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