2019年5月10日金曜日

黄泉戸喫(よもつへぐい)

《バグダッド下水音頭》「ホントにホントに ご苦労さん」

⚽☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪⚽

加治木義博
言語復原史学会
大学院講義録

黄泉戸喫(よもつへぐい)

 国家というのは、
 単に土地を占拠すればいいというものではない。

 そこに住む国民がいて、何かの産業に従事し、
 その経済力を活用せねば王も軍人も役人も、
 その国を維持して行くことはできない。

 たとえ敵には負けなくても、滅びてしまう。

 しかしどんなに原始的でも経済活動には、
 利害が相反するジンクスがつきまとう。

 労働は時間と体力と資本を消耗する損失であり、
 その結果得られた収穫の代価=収入が
 その損失を上回らなければ永続きしない。

 その体制は滅びてしまう。

 けれども代価を払わずに収穫を奪い去る盗賊がいる。

 ところが古代社会を支えていた農水産業は、
 広い面積の土地や水域から収穫するしかないから、
 不眠不休で見張っているわけにはいかない。

 だから常に盗まれ、紛争が起こる。

 それを防ぐには強奪者を捕らえて
 処罰する強い警察力がいり、法律がいり、
 それらを支える権力と給与がいる。

 さらに必要なのは侵略者を撃退する兵力で、
 これらがなければ国民が従わないから、
 国家も政権も成りたたない。

 だがそれには国家の構成と、
 不正を処罰する根拠になる
 法律と税収がなければならない。

 いま私たちがここでお話ししている
 「建国」の時代とは、この法と力が備わって、
 国民がそれを認知した時、ということなのだ。

 古墳時代の甲冑(鎧兜)は
 ギリシャ式の立派なものが出土しているから、
 武力で優勢だったことは確かだが、
 応神天皇たちはそれ以外に
 法律をもっていたのである。

 これまでは聖徳太子が定めた
 十七条憲法が、
 我が国法制化の最初だと教えられてきたが、
 それはこの建国の条件を考えると、
 根本的に間違っていたことがわかる。

 成文化したものが見つからないだけで、
 法律のない国家というものは考えられないからだ。

 だから允恭天皇が、
 氏姓を偽っている国民を摘発するのに、
 手を熱湯に入れさせたという
 「探湯(くかだち)」は
 古代法の施行例の1つであって、
 そうでなければ国民は、
 そんな裁決方法を承認しない。

 倭国には当然、そうした法律があったのである。

 その事実を伊弉諾・伊弉冉2尊の物語も、
 また明快に立証している。

 それはいつ?、何処で?、生まれた法律だったか?。

 イザナギはイザナミを連れもどそうと
 黄泉国(よみのくに)へ行って、
 妻に地上へ戻ろうと誘うと、

 妻は
 「私はもう黄泉戸喫(よもつへぐい)を
  してしまったので戻れない」と、
 夫が早く迎えに来なかったことを、強く非難する。

 在来の学者はこれを単なるお伽話の一節として、
 何の考証もしていないが、

 この話が、
 古代日本に法律があった事実と、
 その文化の源がどこかを記録していたのである。

 それはもういうまでもなく、
 古代ギリシャの法律だったのである。

 しかしこの話の原話がギリシャ神話中の
 「オルペウスの冥界降だり」
 であるからというのではない。

 オルペウスとこの話は細部ではだいぶ違っている。

 ただ着想だけを利用して、
 実際にあった歴史を巧みに表現したものが、
 伊弉諾の尊の
 「黄泉(よみ)の国、降だり」だというのが正しい。

 ギリシャの黄泉(よみ)の国の王・ハデスは、
 ゼウスと収穫の女神・デメテルとの 
 ペルセボネを誘拐して黄泉に連れて行った。

 デメテルはゼウスに
 娘を取り返すように裁きを求めたが、
 ゼウスは弟にワイロを貰っていて、
 妻の頼みをきかない。

 デメテルは怒って大飢饉を起こす。

 困ったゼウスは
 「ペルセポネが黄泉で
  何も食べていなかったら連れ戻せるが、
  もし何か食べていたら、
  所属を決める古来の法律によって、
  ペルセポネはハデスの客ということになり、
  ハデスの妻になるしかない」
 という裁定を下した。

 ところがデメテルに恨みをもつ庭師が、
 飢えと乾きに苦しむペルセボネに、
 水々しいザクロを与え、
 彼女はそれを食べてしまった。

 ハデスはオリンボスの法廷で、
 その事実を証拠に
 「彼女は私の正当な妻だ」と主張したので、
 デメテルは敗訴してしまった。

 この古代ギリシャの珍しい法律が、
 そのまま伊弉冉尊説話でも
 「黄泉戸喫(よもつへぐい)。戸=国籍」の
 法律として使われ、
 国民を納得させていたのである。

 従来は、
 ギリシャ神話の高度に知性的な内容に比べて、
 日本神話は、
 「なんと貧弱な子供だましの神話か」と、
 海外で蔑視されてきた。

 しかしこの例の他にも多数の実例が見つかり、
 『記・紀』の内容は
 当時のギリシャと同じ文化と知性をもち、
 それを現実の歴史に当てはめて、
 人の守るべき道を教え、
 高度の政治経済の原則を、
 為政者たち読む者に伝えようとした
 実に優れた教科書であり、
 優れた文学作品だったことがわかったのである。

 『記・紀』は
 「こういう事件は、こう裁くのだ」
 という判例集でもあり、

 『聖徳太子憲法』以前に実在した
 我が国の『憲法』を教える、
 「具体的法令集」でもあったのである。

 だから、
 雲の上というより庶民的といった方がいい恋愛や、
 お家騒動や愚行、暴行が網羅されていて、
 天皇家にとっては、
 決して愉快な文化財ではない。

 しかしそれを
 「帝王学」や「政治学」の教科書として観ると、
 実に赤裸々に人間像を描き出していて、
 正邪善悪の実態と国民の眼を
 強く意識させるようにしてある。

 『記・紀』は対外宣伝用には不向きなほど、
 恥部をさらけ出していて、
 真実こそが生命である歴史記録としても、
 理想的なものというほかない。

 だからそれは実に高い知性の産物である。

 この高さが、
 皇室を現代まで永続させた
 第一の要因だったのだ。

 『記・紀』は本当の意味で
 私たちの「至宝」、人道の『聖書』なのである。


 M.K記(責)  
 連絡先:090-2485-7908

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