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《東征軍を引導したヤタガラスの行幸遍路》
歴史学講座「創世」
歴史研究家
小嶋秋彦
「『記・紀』及び『風土記』が述べる「神武東征軍の」停留地」
(1)『古事記』
○尾生る人に会いし所:吉野河の河尻
(2)『日本書紀』
○熊野の荒坂津(から)山の中嶮絶して、
復行くべき路無し、乃ち棲遑ひて、
其の跋み渉かむ所を知らず。
(3)~山路嶮絶、越え行く方角が分からないので
躊躇していると~
※具体的な地名は「吉野河の河尻」と
吉野川沿いにあるいは
水源と推測される阿知賀〔吉野郡下市町〕:
吉野川左岸の地区名
アチカ(Grk.)Attikh
アテナイを中心とする地域(イオニア人の土地)
下市の「市:イチ」
(Grk.)āütŋ戦闘、威声、音響
〇ここが「尾生る人」との戦闘が行われた「戦場」
(4)「神武東征」は本来「崇神東征」との解釈は
「日本創世記」などに詳しく紹介した
崇神天皇の勢力〔大伴氏〕は
ギリシャ系人々の末裔
〇『日本書紀』(神武即位前期)
是の時、大伴氏の遠祖、
日臣命(ひのおみのみこと)、
大来目(おおくめ)を帥ひて、
元戎(おおつわもの)に
督将(いくさのきみ)として、
山を蹈み行を啓き、
乃ち烏の向かへるを尋(と)め、
仰ぎ視て追ふ。
遂に菟田の下県に達(いた)る。
因りてその至れる処を号けて
菟田の穿邑(うかちのむら)と曰ふ。
「大伴:オホトモ」
Ευθυδεμος
Ευ-θεo-θαυμαξω
〔繁んに神を崇拝する〕=
崇神(第10代天皇:崇神天皇名)
日臣命「日=ヒ」
(Grk.)βια権力、兵力
道臣「道=ミチ」
(Grk.)μιτις智恵・智謀:「参謀」
天忍日命「忍日=オシヒ」
(Grk.)οσια神の掟:祭儀・神を祀る事>
敬神・崇神
οσιηοσιαに同じ
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