2019年3月24日日曜日

月氏・大月氏・月支・伊都の由来と太秦

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《月氏・大月氏・月支・伊都の由来と太秦

歴史学講座「創世」
歴史研究家 
小嶋秋彦 


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 「月氏・大月氏・月支・伊都の由来と太秦

 日本にはヘブライ人(イスラエル人)が
 渡来しています。

 ➀ヘブライ王国→イスラエル(ガド族・レビ族)→
  月氏国〔大月氏〕→月氏国・呉(高麗)・百済→
          →新羅→
   伊都・出雲・秦氏・武蔵国
    倭・物部氏・葛城氏・蘇我氏

 ②ヘブライ王国→ユダ(ユダ族)→
  常陸・エゾ・十勝(陸別)

 ③ヘブライ王国→ユダ(ユダ族)キリスト教徒→
  石見・美保

  ヘブライの文化が上記の経過で
 日本に齎(もたら)されてきました。
 ヘブライの文化が部族の一つユダ族が
 日本へ渡来し極めて貴重な「十戒石」を
 1500年以上に亘り秘蔵してきた事実と
 同じ一部族が「ガド族」の渡来と
 各地へ定着し影響をしていました。
  
   これら、ガド族の支族「秦氏」の渡来伝承が
  『日本書紀』に載っているのでその様子を確認し、
 渡来後の今に至るまでの
 彼等の事跡を紹介申上げます。

  同氏族について
 平安時代の『新撰姓氏録』には
 「秦の始皇帝の後裔」とありますが、
 安易に信じてはいけません。

  また彼等は秦韓といわれた
 新羅から来たのでもありません。

  韓半島では
 百済〔モシュ:ヘブライ人の植民地〕の
 「倉下」にいたのです。

 「秦氏」弓月君の渡来伝承と牟佐・葛木    
  ―月氏・大月氏・月支・伊都の由来と太秦―

 という課題の下に下記について解説します。

 1.弓月君〔秦氏〕の日本渡来伝承
   『日本書紀』応神天皇と定住地<奈良県>

 2.弓月君の後裔一族〔秦造酒〕の結集と
   太秦(京都府)への移住『日本書紀』雄略天皇
 
 3.秦氏の祖〔ヘブライの部族「ガド族」〕
    
 4.「秦」は「ハタ」と呼称される

 5.「秦」は「シン」である

  6.月氏・大月氏・月支・伊都の由来

  7.葛城襲津彦と弓月君:葛木と新庄
   〔奈良県葛城市〕

  8.牟佐村主の「ムサ」と「ウズマサ(太秦)」
  
  9.太秦(京都府右京区)の神社名」
  〔木嶋坐天照御魂神社
   (「延喜式」神名帳)コノシマ_〕
  (1)「天照」と「御魂」の由来
  (2)三柱鳥居の由来

  10.秦氏と絹産業
   〔大月氏の五翕侯(ゴキュウコウ)〕
  (1)養蚕神社
  (2)蚕の社
  (3)「木嶋:コシマ」の由来
  (4)峰ヶ丘、北野、桂、嵐山と「西陣織」

  11.「はたもの/賤機山」:静岡(県名・市名) 
    柴田錬三郎「眠狂四郎孤剣五十三次」

  12.「平安京」遷都造営と秦氏
    〔秦河勝:藤木古墳の埋葬者(奈良県)〕

 《参考》
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

本生図と踊子像のある石柱.jpg

 
 ⦅Tell Arpachiyah (検索)⦆
 ⦅ハラフ期の土器について⦆   
 ⦅ハブール川⦆
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 ⦅ARPACHIYAH 1976⦆
 ⦅高床式神殿⦆
 ⦅牛頭を象った神社建築の棟飾部⦆
 ⦅神社のルーツ⦆
 ⦅鳥居のルーツ⦆

 M.K記(責)  
 連絡先:090-2485-

神武天皇〔第1代〕と崇神天皇〔第10代〕

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神武天皇〔第1代〕と崇神天皇〔第10代〕

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小嶋秋彦 


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 「神武天皇〔第1代〕と崇神天皇〔第10代〕
"はつくにしらしし・すめらみこと"


 
 《魏書東夷倭傳》

  いわゆる倭人伝の記述の様子によると、
 「倭王」が再び使節を送ったとの記述のある
 魏暦正始4年(243)から
 次の記述の正始8年(247)の4年のうちに
 卑弥呼は死亡したことになる。

 卑弥呼の死後男王を立てたが
 国中が服従しなかったので、
 また卑弥呼の一族の壹與(台与)という
 13歳の女子を王に立てたという。

 文章の流れからすると、
 その壹與(台与)が魏に使節を送ったのが
 正始8年(247)ということらしい。

 よってより正確な推測をすると、
 卑弥呼の死亡は
 紀元245年の前後合わせて3年の間だろう。

 「台与」はサンスクリット語の 
 duyo 〔第二の〕音写で、
 彼女を「第二代」の巫女として、
 連合国家が再構築されたものとみられる。

 しかし、この連合も3世紀の後半
 〔多分紀元270年頃〕から
 4世紀初めにかけての間に海外から
 武力侵攻して来た勢力によって壊滅させられ、
 邪馬臺国(邪馬台国)はじめ
 傍国諸国の独立も存続が
 あやうくなったものとみられる。

 吉野ヶ里遺跡の発掘・再現によって
 明らかになっている長大な「柵」は、
 その外圧から村落を守護するための
 大掛かりな構造物で、
 実際その外圧勢力と戦争を行ったのである。

 遺跡内に埋葬された長躯の遺体は
 その敵の犠牲となった者の死体である。

 その海外から侵攻し来た勢力とは
 「崇神天皇」及びその和名「御真来入日子印恵」、
 垂仁天皇の「伊久米伊理毘古伊佐知」に
 込められている
 「イリ:入・伊理」人の勢力である。

 「イリ」は Ellas 〔ギリシャ〕あるいは
   Ellan 〔ギリシャ人〕の音写で、
 この勢力の祖地が古代にエーゲ海を挟んだ
 東西の地方ギリシャにあったことを示している。

 軍船で侵攻して来た西方軍事力
 ―崇神天皇と「イリ:人」の勢力―

 <日本古典文学大系>

 〇『古事記』崇神天皇 御眞木入日子印恵命
   初国知らしし御眞木天皇
  「はつくにしらしみまきのすめらみこと」

 〇『日本書紀』神武天皇 神日本磐余彦天皇
   始馭天下之天皇
  「はつくにしらすすめらみこと」

 〇『日本書紀』崇神天皇 
   御間城入彦五十瓊殖天皇 
   御肇國天皇
  「はつくにしらすすめらみこと」

 〇『常陸國風土記』香島郡
  ・難波長柄豊前大麻馭宇天皇 〔孝徳天皇〕
  「あめのしたしろしめしすめらみこと」
  ・初國所知美麻貴天皇 〔崇神天皇〕
  「はつくにしらししみまきのすめらみこと」

  
 (1)「初國」「始馭」「肇國」の表記から
   「初(始)めて國を治めた」との解釈ができる。

  <大漢和辞典>
 
   知(チ)つかさどる、治める、とりしまる

   馭(ギョ・ゴ)すべる、をさめる、とりしまる
         つかふ、馬を操る、乗り物
         ◎指導する

   肇(テウ・ヂウ)うつ、はじめる・はじめ
          はかる、ひらく、ただす

  "しらしし"は「知る」に従った読み方である。

  ★ただし「しら」の語源を下記の用語
   (ギリシャ語)と考えると
  「神武東征」の実相がより明確に理解できる。
  「しら」
    (Grk.)συλαω〔sylao〕
         ・イオニア訛り、叙事詩
    (Grk.)συλασκε〔sylaske:しらしき〕
      奪う、掠奪する、
      (特に)倒した敵の武具を剥ぎ取る
    (Grk.)συλαω〔syesis〕掠奪 
    (Grk.)συλαω〔syltor〕掠奪者

  ・「神武東征」によって神武東征勢力は
   登美能那賀須泥毘古(長髄彦)
  ・兄磯城・弟磯城から
   国を奪った。
   これは明らかに
   「掠奪者」「侵略者」を示している。

 (2)神武東征は崇神東征

 『記・紀』双方に
 「はつくにしらす(しし)・すめらみこと」を表す
 天皇名として
 神武天皇・崇神天皇が記載されている。

 双方のうちどちらが
 実際「はじめて」なのだろうか。
 
 実際は崇神天皇が「東征」したとする方が
 妥当である。

 その理由は『記・紀』が記述する
 「岡田宮」「他祇理宮」「高嶋宮」の背景から
 明確であり、
 その『記・紀』の編者たちは「侵略・掠奪」の
 悪名を除けるためか、または
 自分たちの勢力がより古くから
 当地(大和・奈良県)に
 渡来していたことを示すために
 「神武東征」との構成を創り上げたのである。

 ※ところが、
  それとは違う重大な事情があることが
  判明した。
  それを物語っていたのが”八咫烏”伝承である。

 (3)「崇神東征」勢力と「神武天皇」勢力の関係
 
 a.多氏(神武天皇)

  「崇神東征」の頃(295~315年)には
  すでに大和盆地におり、
  登美族〔登美能那賀須泥毘古〕や
  磯城族〔兄磯城・弟磯城〕、また
  饒速日命族〔物部氏〕と共に
  盆地の南(明日香村、五条市)から北(奈良市)に
  別れて統治制〔部族制〕に入っていた。
 
  そのうちの多氏系列の人々が、
  崇神東征軍の正面に当たってきたので、
  彼らに同道するとの計略で、
  その進行路を東方へ採らされたのである。

  東征軍が
  大和盆地へ進攻する正面になったのは、
  この度は「登美族」となった。

  その結果、
  登美能那賀須泥毘古一族と
  彼に味方した兄磯城は
  滅亡の憂き目に会ってしまった。
  榛原町地図にみると桜井市との境界に
  鳥見(「とび」という)山(940m)がある。

  「鳥見」は「トミ」で「延喜式」神名帳に載る
  「築弥神社」名と同根で、
  鳥見山に代表されるように
  登美族の領域であった。 
  よって
  同領域を守るため登美族は反抗せざるを
      得なかった。

  しかも背後には
  崇神東征軍に味方した味方した多氏があった。

  多氏は崇神東征軍と同盟したのである。

  その経緯を伝えるのが
  「ヤタガラス」伝承である。

 b.『記・紀』における多氏に対する対応

  その「東征」成功の結果、
  「崇神」勢力は多氏の同盟対応に感謝し、
  同氏がすでに以前より大和盆地に定着していた
  ことを考慮し、崇神天皇(第10代)より古い
  朝廷権力〔天皇:てんのう〕として
  第1代神武天皇から第8代〔孝元天皇〕までを
  多氏の履歴を基に設け、神武朝と崇神朝との
  継ぎとして第9代開化天皇を挿入したのである。

  実際『古事記』の編纂を命じた天武天皇は
  息長氏〔ギリシャ〕系であるし、
  命を受けて実務を担った太安万侶、稗田阿礼も
  ギリシャ系〔天津彦根〕の後裔であった。

 c.「てんのう(天皇)」の始まり

  「天皇」の発音は「テンコウ」であり、
  これは遣隋使以降、シナの漢字資料が
  移入されてからの使用である。

  本来「てーのう」がその始まりで、
  ギリシャ語に依拠している。
 
  その原初は登美族と同族のアズミ(阿曇)族の
  「天孫」伝承「降臨」と係わっている。

  ○天皇「てーのう」
  (Grk.)Θεο-νοευ
    〔theo-noeu:神、目に留める〕
    神が顕れる

 「天孫降臨」

  ※「天孫」とは天照大神の孫
    〔邇邇芸命〕が地に降った「天孫降臨」

  ※現人神、顕人神
  ※「テンノウ」との発音も漢発音の影響

  ○天皇「てん・のう」
   (Grk.)Theo_n.oeu<テンオウ>



 M.K記(責)  
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東征軍を引導したヤタガラスの行幸遍路

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東征軍を引導したヤタガラスの行幸遍路

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 「東征軍を引導したヤタガラスの行幸遍路

 (1) 大淀町〔吉野郡〕
    大「オウ」ευ(ευς:ευー)
   立派な、勇敢な、良い、役に立つ、有用な
    淀「ヨド」yudh 戦士、兵
   「オウヨド」ευーyudh
   〔立派な(役に立つ)兵〕:ヤタガラス軍団

 (2) 下市町の 市:大淀町上市の 市「イチ」
          yudh 戦士、兵、戦闘
    ※東征軍は五條市から東方へと引導された

 (3) 吉野町 柳「ヤナギ」
  (Sk.)yonaka 
  〔Iwvia(イオニア)のインドでの呼称〕:
      ギリシャ人
  ※アレキサンダー大王軍に参加した
       イオニア人の後裔がバクトリア(中央アジア)に
       残り、ヘレニズム文化の担い手となったが、
       紀元前2、1世紀頃
   ヒンズークシ山脈を越えてインドに侵入し、
   その都市〔シャーカラ〕はまた
   Yonakā-nam〔ギリシャ人の都市〕
  と呼ばれた。

  ※<中村元「インド古代史」>
    第二節 メナンドロス王 
    第二章 ギリシャ人のインド支配
  
   「インド統治」
   かれはインドに進入してからは
   西北インドの
   シャーカラ
       (Śakala、パーリ語Skala、現在のŚiālkoţ)に
   都した。
   それはChenāb川と Rāvi川との中間に
       位置している。
   それは叙事詩にもあらわれている
   都市であるが、
   かって
   アレクサンドロスやデーメートリオスに
       征服された。
 
   地理学者プトレマイオスによると、
   この都市は
   Euthymedia または Euthydemia と
   呼ばれたというが、
   おそらくエウティデーモス王家と
      関係があったためであろう。

       この都市はまた
       メナンドロス王に征服されたのである。

   後に6世紀初頭に
   匈奴王ミヒラクラ(Aiԧiraķula)の
   首都にもなった。

   メナンドロスの当時、
   シャーカラは「ギリシャ人の都市」
   (Yonakānaṃ…nagaram)と呼ばれるほどに、
   ギリシャ人の支配的勢力が強かった。

   シャーカラは物資が豊富に集積し、
   極めて富裕であった伝えられている。

      『ギリシャ人の国に(Yonakānaṃ)、
    多くの物資交易の中心地である
    サーガラ(Sāgala)
    という都があった。
    その地方は山河の風光が明媚であり、
    麗しく、
    遊園・庭園・林・沼・蓮池があった。
    山河や林によって美しい(この都は)、
    学識ある技術者に設計せられ、
    仇敵は掃討せられ、
    危難に襲われることがなかった。
    他種多様な堅固な望楼と塁壁があり、
    優秀なる城門と入口あり、 
    王宮は深い濠と白い壁に囲まれ、
    街路・四衙・十字路は区割整然たり、
    高価な品物をよく陳列した市場にみち、
    種々なる幾百千の
         「施しの家」(dā-nagga)に限られ、
    ヒマラヤ山脈にも似た
         豪壮な幾百千の邸宅に飾られ、
     象・馬・車・歩兵に充ち、
           容姿端麗なる男女の
     群れが列をなし、群衆が充満し、
     幾多の
     クシャトリヤ・バラモン・
           ヴァイシャ・シュードラ あり、
    種々なるしゃもん・ばらもんの会衆は
            会釈を交わし、
    種々多様の学問ある識者が居住し、
    ベナレスの衣(Kāsika)・
    コートゥンバラ衣(Koțumbaraka)など
    種々なる衣服の商品に満ち、
            四方に向かって商品を
    良く陳列されている市場から芳香が匂い、
    人の欲する多くの宝石に満ち、
    四方に向かって商品をよく陳列した
    貴重品商人の群れが集い、
    貨幣(kahāpana)・金・銀・銅・石材が
            充満し、
    輝く鉱山(のごとく)であり、
    財・殻・富・資料は豊富であり、
            倉庫は充満し、
    飲食物多く、多種の硬くあるいは
    柔らかい食物・美味・飲料・菓子もあり、
    ウッタラクル(インド伝統の理想国土) 
            の如くであり、
            穀物は備わっていて、
    あたかも天上の都
    アーラカマンダー(Āļlakamandā)の
    如くであった。

  〇「柳」地区は吉野町北側、
   大宇陀町(宇陀郡)との境界に接し、
   その境界に
   「烏塒屋山(からすのとややま)(659m」
         がある。
   「塒」字はシ・ジ(shih)と読み、
   「ねぐら」の語義。
   よって、同表記は「烏のねぐら屋」となる。

   これを考慮すれば東征軍は上市から小島峠、
   香束へと、柳の中竜門から左へ折れ、
   烏塒屋山付近を越えて
   大宇陀町の栗野〔宇陀郡〕へと侵略した。

   なお、当該の山は烏ノ士時屋山ともされた。

 (4) 大宇陀町栗野(くりの)〔宇陀郡〕
    栗野「クリヤ」
    (Sk.)kara-ya(karasayati)引く<引導する>

    ※久留野〔五條市〕と語源を同じくし
    「ヤタガラスの引導」を表し、
     東征軍がこの地に侵攻したとの遺称である。

    阿紀神社〔大宇陀迫間町〕

   『延喜式神名帳』大和国宇陀郡 阿紀神社              「アキノ」
   阿紀「アキ」αγος〔agos〕指導者、首長
                  αγινεω〔agineo〕
           導く、案内する、連れて来る。
    この地域は「アキノ:阿騎野」であった。
    äγω〔ägo〕導く、運ぶ、指揮する

    ※同神社の祭神の第一は
          「天照皇太神」である。

 (5) 榛原町〔宇陀郡〕
  〇榛原「エハラ」
  ευ-πορεω〔eu-poreo〕
  うまくゆく、成功する、うまく通り抜ける。

  ※東征軍大和盆地に侵入したとの成功をいう。
   しかもここに留まったにではなく、
   この地を「うまく通り抜けた」のである。
     ともかく、
         この地が侵攻した所との表意である。

   〇栗谷「クリヤ」
   (Sk.)kara-ya(karasayati)引く<引導する>

   ※久留野〔五條市〕、 栗野〔大宇陀町〕名の
    語義に同じ。
    つまり、
          「ヤタガラス」に引導された東征軍が
     ここに移ってきたことをします。

  〇八咫烏神社「延喜式」神名帳「ヤタカラス」
   (現)宇陀郡榛原町高塚 祭神:鴨建角身命

    〇柳「ヤナギ」:栗谷・高塚地区から北方、
   (現)榛原トンネル(近鉄大阪線)の西側辺り
   (Sk.)yonaka〔Ιωνια(イオニア)、
   インドでの「ギリシャ人」との呼称〕

   ※東征軍はこの辺りから
            西方桜井市初瀬方面へと移動、
     侵攻していった。

 (6) 桜井市
   ※東征軍は柳〔榛原町〕辺りから
            現在の国道165線あるいは
            近鉄大阪線に沿って西方へ侵攻し、
    三輪山の南麓から西麓へと廻り込んで、
    桜井市の箸中から
            天理市の柳本町・中山町辺りに至り、
    そこに本拠を設営した。

   〇檜原神社〔桜井市三輪:三輪山の西北麓〕
   「エハラ」:宇陀郡榛原町の「エハラ」に同じ
      ευ-πορεω〔eu-poreo〕成功する。

  ※遂に東征軍は
  大和盆地に定着することに成功したのである。

   〇大兵主神社(現)桜井市穴師
    『延喜式神名帳』大和国城上郡 
    穴師坐兵主神社名神大「アナシ」
    穴師「アナシ」
    ανασσειν〔anassein〕
            支配する、支配者である 
    αναξ〔anask〕支配者、王

   〇太田〔桜井市箸中・巻野内(纏向)の
                  西側に接する地区〕
    『延喜式神名帳』大和国城上郡 
    他田坐天照御魂神社大「ヲサタノ」
    「太田(他田)(Grk.)αυτη〔auti〕
            戦争、戦闘、音響(鬨の声)

   〇太田市〔橿原市:桜井市との境界、
                    「太田」の西側〕
    「オウタイチ」
     (Grk.)αυτ-ερετης〔aut-eretis〕
       戦士で(船の)漕ぎ手を兼ねる者

   〇神武天皇聖蹟〔桜井市茅原〕

 (7) 天理市
   柳本「ヤナギモト」:
         yonaka(ギリシャ人)の本拠

  ※ここには「崇神天皇陵」がある。

   〇檜垣「ヒガイ」 
    (Grk.)ηχη〔hxai〕音響、どよめき、鬨の声
   ※「太田」の祖語αυτηと同義
    「太田」の北側近く、柳本の西隣り

   〇爲川「イカワ」〔田原本町:南、北〕
    (Grk.)ηχεω〔ixew〕響く、鳴く,
              ηχη〔hxai〕の動詞形

   ※東征軍は軍略の成功を
         「鬨の声」を上げて(響かせて)
    祝ったのである。

 M.K記(責)  
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