2019年3月24日日曜日

『記・紀』及び『風土記』が述べる「神武東征軍の」停留地

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『記・紀』及び『風土記』が述べる「神武東征軍の」停留地

歴史学講座「創世」
歴史研究家 
小嶋秋彦 


※『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代
※「神聖の系譜」出版協賛のお願い


 『記・紀』及び『風土記』が述べる「神武東征軍の」停留地

 (1)『古事記』
  ○尾生る人に会いし所:吉野河の河尻

 (2)『日本書紀』
  ○熊野の荒坂津(から)山の中嶮絶して、
   復行くべき路無し、乃ち棲遑ひて、
   其の跋み渉かむ所を知らず。

 (3)~山路嶮絶、越え行く方角が分からないので
   躊躇していると~

 ※具体的な地名は「吉野河の河尻」と
  吉野川沿いにあるいは
  水源と推測される阿知賀〔吉野郡下市町〕: 
  吉野川左岸の地区名

  アチカ(Grk.)Attikh
  アテナイを中心とする地域(イオニア人の土地)

  下市の「市:イチ」
   (Grk.)āütŋ戦闘、威声、音響

  〇ここが
  「尾生る人」との戦闘が行われた「戦場」

 (4)「神武東征」は本来「崇神東征」との解釈は
   「日本創世記」などに詳しく紹介した
   崇神天皇の勢力〔大伴氏〕は
       ギリシャ系人々の末裔

  〇『日本書紀』(神武即位前期)
   是の時、大伴氏の遠祖、
   日臣命(ひのおみのみこと)、
   大来目(おおくめ)を帥ひて、
   元戎(おおつわもの)に
   督将(いくさのきみ)として、
   山を蹈み行を啓き、
   乃ち烏の向かへるを尋(と)め、
   仰ぎ視て追ふ。
   遂に菟田の下県に達(いた)る。
   因りてその至れる処を号けて
   菟田の穿邑(うかちのむら)と曰ふ。

  「大伴:オホトモ」
   Ευθυδεμος
   Ευ-θεo-θαυμαξω
         

      〔繁んに神を崇拝する〕=
   崇神(第10代天皇:崇神天皇名)
 
  日臣命「日=ヒ」
  (Grk.)βια権力、兵力

  道臣「道=ミチ」
  (Grk.)μιτις智恵・智謀:「参謀」

  天忍日命「忍日=オシヒ」
  (Grk.)οσια神の掟:祭儀・神を祀る事>
               敬神・崇神

  οσιηοσιαに同じ

 M.K記(責)  
 連絡先:090-2485-7908

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