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《スキュティア人・サカ族》
※出典:印欧語比較文法・高津春繁著
印欧語比較文法:印欧語の諸言語・序説
岩波全書 187 14~15頁
古代ペルシャ帝国の言語で、
Darius,Xerxes,Artaxerxes 等の諸王が
岩石に残した楔形文字碑文(前 520-350 年頃)
によって伝えられている。
彼らは自らを Pārsa と称したのであって、
今日の Persia なる語形は,
ā を ē に変化せしめることを特徴とした
ギリシアのイオニア方言を経て
伝わったものである。
碑文中の主なるものは
Behistun のダリウス王の大碑文
(バビロニア及びエラムの言語と共に
並記されている)及び
Naxš-i-Rustam のダリウス王の墓碑銘である。
ダリウス王とクセルクセース王の碑文は
正確であるが、
それ以後のものは文法上の誤りが多く、
既にこの言語が古い時代の姿を変えて、
中期ペルシア語に遷りつつあったことを
示している。
他は古代ペルシア語とは異なる方言に属する
Avesta の言語である。
この言葉が
何処で話されていたかは不明であるが、
これはギリシア人がゾーロアストレース
(Ζωροάστρης)と呼んだ Zaraθuštra
を教祖とする宗教の聖典の言語で、
その中の最古層たる Gāθā (《歌》)と
称する部分は略…
紀元前 1000-600 年の間に歸し得べく、
残余は略…
前 500-300 年の間に出来上がったものらしい。
聖典は一度既に
ペルシア帝国時代に編纂されたが、
帝国崩壊の時に失われ、
その中の Gāθā 及びその外の編纂が
ササン王朝時代、
紀元後3~4世紀頃再び行われた。
この際にはテクストは伝統的発音に従って
固定されたのであって、
アラミ語の文字より新たに甚だ複雑な
アルファベットが作られ、
全ての母音及び古いアラミ文字では
表記出来ない子音を区別する記号が
付加せられたために、
アヴェスタ聖典の表記法と
実際の発音との関係は複雑を極め、
甚だ困難な問題を
アヴェスタ語研究家に課している。
現存するものは
1.Gāθā (Zaraθuštra の韻文の説教)
2.Yašt(個々の神々への呼びかけ)
3.Vidēvdat(掟の書)
4.Yasna(祈祷書)
の四部に分れ、原典の四分の一にすぎない。
以上の外に、
ヘロトドス等の古代ギリシア史家によって
伝えられるスキュティア人(Σκύθαι)は、
クリミア半島およびその北方平原に住み、
壮麗な墳墓に遺品を留めているが、
僅かに残っている固有名詞や
若干の語彙によれば、
イラン語派に属する言語をもっていたらしい。
※ Herodotos Ⅳ 11 によれば
彼らは元来アジアの住民で、
後に Massagetai に追われて
Kimmirioi 人の地
(ドニエプルとドニエストル河流域)に
入ったものである。
彼らは Hippokrates の「風土気候論」91-102
によれば、
肥えていて、柔毛で、毛が少なく、
赤かったという。
この叙述によって彼らをモンゴル又は
トルコ・タタルである、或は
フィンとする説もあるが
後になって
イラン民族とする説が有力となった。
之は言語の面からである。
例えば
ένάρεες Hdt.Ⅳ.67=άνδρόγυνοι
Hippokr,de aere 106 άνανδριεες
<α(ε)-privativum+nra.
この外固有名詞に
Àρσάκης,
Bαδáκης,
Ούαπαδάκης,
Àξιάκης,
Δαδάκης,
Σπαδάκης,
Θαρνάκης,
の如くにイラン系のものが多い。
スキュティア語はまた
Sarmatia 人の言語に酷似し、
現今のオセット人は
サルマティア人の後であると言われる。
cf.K.Kretschmer,PWRE Ⅱ.A.1.923-942.※
古代ペルシア語が中期ペルシア語に
移ったのは紀元前400年以後であり、
之を Pāhalavī と称し、
Pāīkūlī の大碑文(後293又は294年)
その外の碑文、
アヴェスタの注釈書等によって知られる。
この外中期イラン語で文献を残しているのは
仏教、マニ教、キリスト教の文献の
東トルケスタン及び
その東方に発見されたものの中に傳存する
ソクド語(Sogdian,sogdisch,sogdien)、
同じく東トルケスタン出土の文献によって
知られるサカ族(Śaka)の言語である。
※ 彼らはパミール地方に住む古い一民族で、
自ら Śaka と称し、
ベビストゥーン大碑文上には
Saka (=バビロニア、エラム語の Gimiri)
ギリシア語の Σάκας,Σάκης,Σάκκαι
ラテン語の sac(c)ae は之である。
彼らの言語は固有名詞によれば
東イラン語の一派で、
その中に多くの方言があったらしい。※
※スキタイ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%82%A4
https://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RimVQLQvBbFmIAkA.U3uV7;_ylu=X3oDMTBhcmNxcTgxBHZ0aWQDSVMwMDI-?p=%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%82%A4&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
※サカ族
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%AB
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E3%82%B5%E3%82%AB%E6%97%8F&aq=-1&ai=DHKsoJIYQfuBItYcLg8PrA&ts=19001&ei=UTF-8
M.K記(責)
http://blogs.yahoo.co.jp/PROFILE/Y1WGxeo8erJfyFcQEz_j_ksX6vA-
連絡先:090-2485-7908
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